砂漠でオアシスを求めて歩いている時の気持ちを想像してみてください。
「オアシスなんて本当にあるのか?あるならあとどれだけ歩けばいいの?」と不安な気持ちを抱えて灼熱の中を歩き続けることになるのではないでしょうか?
砂漠でこれ以上体力を消耗していたら命も危ないと踏みとどまったのは那覇市の沖縄ホテルの会長、宮里さんです。
休業という足踏み状態を選択し借金のダメージを抑えようとしています。
沖縄・那覇の観光の現状を象徴するような老舗宿泊施設の現状を見て行きます。
まず現状理解のため過去の沖縄ホテルの歴史から見て行きます。
沖縄ホテルの歴史
世界中の経済を低迷させるコロナ禍と同様の歴史的な負の出来事の中に第二次世界大戦がありますが、この間にホテルが開業していたのは驚きと言えるでしょう。
沖縄ホテルは真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まった1941年に沖縄初の観光ホテルとしてしたたかに那覇市の波之上地区でオープンしました。
当初からVIPが利用することとなり、その中には皇室や皇室がもてなす外国からの要人もいました。
残念ながら一度は沖縄戦下で全焼したものの戦後1951年、那覇市大道に場所を移して再スタートしました。
アウトサイドから建物を奪われる歴史がありながら経営は健在であり続けてきのに、今回ばかりは会長自ら休業というネガティブな選択をせざる得なくなりました。
令和に入り書き加えられたコロナ禍の負の歩みを次に詳しく見て行きます。
コロナ禍の休業までの経緯?
昨年コロナ感染が広がり、観光に支えられてきた沖縄は甚大なダメージを受けました。
多くのホテルや旅館が休業を余儀なくされ老舗旅館「沖縄ホテル」も例に漏れずでしたが、あくまでも約一か月間の期限付きでした。
しかし今年に入りついに長期休業という道を歩むことになりました。
昨年からの通常はあり得ない集団予約の相次ぐキャンセルの痛みは耐えがたいものになったのです。
利用の60%から70%を占めていたスポーツ合宿や修学旅行の準備は個人旅行より労を要します。
整えた所で前日まさかの予約キャンセルを許容せざるを得ないのです。
砂漠の真ん中に取り残されたような状態で休業を余儀なくされることになったような途方にくれた状態です。
休業で従業員はどうなる?
沖縄ホテルでは35人の従業員が所属しています。
休業によって仕事がなくなるわけですが雇用は継続されるといいます。
再び始動した時直ちに招集すべく一時的に用意した関連の観光産業や他業種で働いてもらうことになりました。
雇用側は営業再開の時期をいつごろと考えているのか最後に見て行きます。
営業再開はいつになるか?
宮里会長は営業再開について「感染症の状況次第だ」として具体的なタイミングを今夏の終わりか、秋ごろと考えています。
たとえコロナが落ち着いて観光の沖縄が復活しても即那覇のホテルの集客が戻ると楽観的な思いは持っていないといいます。
むしろ終わりの方になるだろうと冷静に予測しています。
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